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前回の記事で、白ユリ夫人が近頃、旧ハンドルネームの「nana」を名乗ってアンチ創価ブログのコメント欄に攻撃的な書き込みをしていることを報じたが、
こちらのアンチ創価ブログにもnanaを名乗ってコメントしている⇒ http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/4f84c48937ed60f5c820282cafdb0401

こちらのブログには10年ほど前からnanaの名で罵詈雑言を含む攻撃的なコメントを書き込んでいるようで、改めてその執拗さには呆れるものである。
また、その最新のコメントでは、創価学会の信心によってどれほど幸福になったかということを強調しているのだが、わざわざそういうことをことさらに強調するところなどは、却って自身が幸福ではなく、現実には不平不満を抱えているということの裏返しではないかと思われる。

nanaこと白ユリ夫人の狂気ぶりと自己顕示欲ぶりが、こちらのブログへのコメントによく表わされていると言えるだろう。

2015/07/23(木) 03:42 攻撃性 PERMALINK COM(0)
白ユリ夫人は現在も、精力的にアンチ創価ブログのコメント欄に殴り込み調の攻撃的な書き込みを続けているが、その際、ハンドルネームを変えている場合がある。
例えばnanaというハンドルネームを使うことがあるが、このnanaというハンドルネームは実は白ユリ夫人の創価学会女子部員時代の頃のものである。
白ユリ夫人は2009年から白ユリのSOKA歓喜の詩(うた)というブログを始めていて、その時から現在のハンドルネーム「白ユリ」を名乗っているが、それ以前の女子部員時代にはnanaと名乗っていて、その頃からあちこちのアンチ創価ブログのコメント欄に攻撃的な書き込みをしていたようで、その証拠として、今でもそのコメントがいくつものアンチ創価ブログのコメント欄に残っている。
つまり、白ユリ夫人はおよそ10年ほど前からアンチ創価ブログへの殴り込みコメントを続けていることになる。
そういう点から見ても、この人物の執念深さ、執拗さはかなりのものであることが窺える。
当人は創価学会で信心することがこの上ない幸福である、と自分のブログで述べているが、普通、人は幸福な状態にある場合、他人を攻撃したり挑発したりする気分にはならないし、恨みや憎しみの感情も湧かないものである。それどころか、他人に対して慈しみの気持ちさえ起きるものである。
つまり、人は幸福だと思う時はそれだけ他人を思いやる心の余裕が生じるものなのである。
ところが、白ユリ夫人は創価学会の信心で幸福だと言ってはいるが、その一方でアンチ創価ブログに対して恨み憎しみのこもった攻撃的感情的なコメントを書き込んでいるし、自分のブログでも書き続けている。
それは本当に幸福な状態の時には起こりえないことなのである。つまり、白ユリ夫人は幸福だと言ってはいるが、実際には幸福ではないということなのであろうと思われる。
他人に対して攻撃的になったり恨み憎しみを抱くのは、不幸な気分の時なのである。幸福だと思っている時、他人に対して攻撃的になったり恨み憎しみを抱いたりはしないし、できないからである。
つまり、白ユリ夫人が創価学会の信心で幸福になったというのは、心からの気持ちではないと言えるのではないか。その言動を見ている限り、そう断定せざるを得ない。


2015/07/10(金) 01:25 論考 PERMALINK COM(0)
池田名誉会長の弟子として、フルタイムの仕事に家事に育児に学会活動にと全てに頑張っていることを自負している白ユリ夫人ではあるが、
しかし、そのような忙しい日々を送っているという割には、自身のブログを毎日のように記事更新するだけでなく、アンチ創価ブログのコメント欄にまで殴り込みのようなコメントを書き込んでいるのは、
よほどヒマがなければできないことではあるだろう。
本当にそれほど忙しい日々を送っているのなら、創価学会を批判しているブログを見つけ出し、そこへ攻撃的なコメントを書き込むなどというのはよほどのヒマがなければできないことだからだ。
その点については、当人も仕事では総合職の役職を得ているが、仕事が忙しいので創価学会では役職にはついていないと、自身のブログのコメント欄に書き込んでいるようだ。
ということは、池田名誉会長の弟子などと自負してはいても、実際にはそれほど学会活動に邁進しているわけでもないということなのだろう。
実際、学会活動に邁進していたら、アンチ創価ブログを読み、その上、コメントを書き込むなどという時間的余裕もないだろうからだ。
これは白ユリ夫人に限らず、ネット上の盲信狂信者によるいわゆるバリ活創価系ブログの多くは、現実には学会活動を一生懸命やってはいない信者が多いという証でもあるようだ。
確かに、現実に学会活動に一生懸命であるなら、とてもブログを書いたりよそのブログを見て回ったり、その上、攻撃的なコメントまで書き込むなどという余裕などないだろう。
あまり学会活動をやってないからこそ、それだけの余裕があると言えるわけだ。
ネット上で誇示しているほどは、現実には創価学会の組織で重要な位置にいるわけではないということのようだ。
ここにも自身を誇示しようとする自己顕示欲の姿勢が見て取れるし、その姿勢はまた、師と仰ぐ池田名誉会長の生きざまでもあるようだ。
そういう点で「師弟不二」と言えるのかもしれない。



2015/07/01(水) 00:19 失笑編 PERMALINK COM(0)
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