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白ユリ夫人は現在も、精力的にアンチ創価ブログのコメント欄に殴り込み調の攻撃的な書き込みを続けているが、その際、ハンドルネームを変えている場合がある。
例えばnanaというハンドルネームを使うことがあるが、このnanaというハンドルネームは実は白ユリ夫人の創価学会女子部員時代の頃のものである。
白ユリ夫人は2009年から白ユリのSOKA歓喜の詩(うた)というブログを始めていて、その時から現在のハンドルネーム「白ユリ」を名乗っているが、それ以前の女子部員時代にはnanaと名乗っていて、その頃からあちこちのアンチ創価ブログのコメント欄に攻撃的な書き込みをしていたようで、その証拠として、今でもそのコメントがいくつものアンチ創価ブログのコメント欄に残っている。
つまり、白ユリ夫人はおよそ10年ほど前からアンチ創価ブログへの殴り込みコメントを続けていることになる。
そういう点から見ても、この人物の執念深さ、執拗さはかなりのものであることが窺える。
当人は創価学会で信心することがこの上ない幸福である、と自分のブログで述べているが、普通、人は幸福な状態にある場合、他人を攻撃したり挑発したりする気分にはならないし、恨みや憎しみの感情も湧かないものである。それどころか、他人に対して慈しみの気持ちさえ起きるものである。
つまり、人は幸福だと思う時はそれだけ他人を思いやる心の余裕が生じるものなのである。
ところが、白ユリ夫人は創価学会の信心で幸福だと言ってはいるが、その一方でアンチ創価ブログに対して恨み憎しみのこもった攻撃的感情的なコメントを書き込んでいるし、自分のブログでも書き続けている。
それは本当に幸福な状態の時には起こりえないことなのである。つまり、白ユリ夫人は幸福だと言ってはいるが、実際には幸福ではないということなのであろうと思われる。
他人に対して攻撃的になったり恨み憎しみを抱くのは、不幸な気分の時なのである。幸福だと思っている時、他人に対して攻撃的になったり恨み憎しみを抱いたりはしないし、できないからである。
つまり、白ユリ夫人が創価学会の信心で幸福になったというのは、心からの気持ちではないと言えるのではないか。その言動を見ている限り、そう断定せざるを得ない。


2015/07/10(金) 01:25 論考 PERMALINK COM(0)
白ユリ夫人は創価学会を批判しているブログに今でも殴り込みのような挑発的文言で荒らしコメントを書き込んでいるようだが、その行為は、当人は人間的成長のための信心活動の一環だと言っていても、他人の迷惑を全く考えない自己中心的な利己主義でしかない。
これもカルトの特徴で、「慈悲」とか「人のため」といった名目をつけても、実際は他人への迷惑行為でしかない。
創価批判者を過激な言葉で糾弾すれば創価学会が世間から正しく評価されるとでも思い込んでいるのかどうか知らないが、却って世間からますますその狂気ぶりを忌み嫌われるだけだろう。
居丈高な態度で創価学会の正義を主張しても、世の多くの共感を得るのは難しいと思われる。
当人は世の多くの共感を得たいとも思ってないようだし、そこまで考えてはいないようだが。
いずれにせよ、批判者に対して何ら論理も思想性もない罵詈雑言で攻撃的なコメントを書き込んでいても、そこに人間的成長はあり得ない。


2015/06/29(月) 16:40 論考 PERMALINK COM(0)
創価学会こそ絶対に正しいとし、池田名誉会長を人生最大の師匠と仰いで心酔し、
更に批判者に対しては自分のブログで相手を見下した態度で執拗に罵詈雑言を浴びせるだけでなく、
創価を批判しているアンチ創価ブログのコメント欄に殴りこんでは狂気じみた罵倒を繰り返している白ユリ夫人だが、
その常識はずれとも言える常軌を逸した行動は、ひとつには、常に自分の気分を高揚させていなければならない精神的な理由もあるのかもしれない。
すでに述べたように、当人によれば、うつ病だったのが創価学会の信心で克服できたということだが、
創価学会での信心及び学会活動で常に気分を高揚させ、更に批判者に対する怒りや憎悪によってテンションを上げて躁状態にすることによってウツ状態になるのを防いでいるのかもしれない。
謂わば、ウツにならない予防策として創価での狂信性を利用しているとも言えるのではないか。
狂信によって己を鼓舞することによってウツにならないようにしているとも言えるわけだが、
だが、それによって相手に迷惑をかけているということには気づいてないようだ。
結局は自分の立場しか考えてないというわけで、それこそ狂信学会員の最たる弊害と言うべきだろう。
そういう意味でも、この白ユリなる人物は創価学会のカルト性を如実に体現しているわかりやすいサンプルだと言えるだろう。

2015/06/24(水) 09:00 論考 PERMALINK COM(0)
過激派のイスラム国に共感する人間もいるくらいだから、
カルトの創価学会に共感する人間がいてもおかしくないし、
白ユリ夫人のようなカルト好きな過激な人間に共感する者がいてもおかしくない。
実際、白ユリ夫人のブログのコメント欄を見ると、共感のコメントを書き込んでいる学会員もちらほらいるようだ。
支持している人間がいるのは確かだろう。
だが、その割合から言うと、共感する人間よりも共感しない人間、反感反発を覚える人間の方が圧倒的に多いのも確かだろう。
いくら創価学会が日本最大の宗教団体といってみても、その組織内においても創価に反感反発を覚える内部アンチの信者が圧倒的に多いのも事実だからだ。
全ての学会員が創価学会を信じ込んでいるわけではなく、組織から抜けたくても抜けられないという学会員の方が割合として多いからだ。
結局、白ユリ夫人のような創価学会を一点の疑いもなく信じている学会員というのは割合からすると少数派であり、
創価学会の組織はそのような少数派の活動家によって動かされていると言ってよい。
その点から言っても、白ユリ夫人が自分のブログで創価学会こそ正義と叫んでも、アンチ創価ブログに殴りこんでは相手を罵倒して自分の主張を叫んでも、
創価学会への共感の輪が拡がるということはないだろう。
却ってそういう過激なことをやればやるほど創価学会への反感反発は更に高まるばかりで、逆効果にしかならない。
そこのところが智恵が足らないというか、そこまで頭が回らないようで、白ユリ夫人のブログのコメント欄にもある学会員が「創価学会を貶めることにしかならない」
というようなコメントをしていたものである。
事実、白ユリ夫人が自分のブログで過激な記事を書き、アンチ創価ブログに殴りこみのような過激な罵詈雑言を書き込み続けていても、結局創価学会を貶める結果にしかなっていない。
そういう意味で、白ユリ夫人の行為は自ら創価学会を貶め、世の中の反感反発を招き、創価学会の勢力を削ぐための活動になっているとも言えるのだ。
その観点から見れば、白ユリ夫人の過激なネット上での活動は自ら創価学会の勢力拡大を阻止する行為であり、アンチ創価の側からすればむしろ歓迎すべきことなのかもしれない。



2015/06/23(火) 09:00 論考 PERMALINK COM(0)
御書をしっかり読んで勉強していることを自慢して他を見下している白ユリ夫人だが、
では、その御書を基にして、どれだけその日蓮の思想を論理的に語れているのかと見れば、
全く自分の言葉で語れていないのである。
白ユリ夫人が日蓮の思想を示す時、御書の一節をコピペしているだけである。
そこには自分の言葉がない。自分の言葉で語る論証がない。
そのいい例が以下のコメントである。
これはあるアンチ創価ブログのコメント欄に、白ユリ夫人が例によって殴り込み調の書き込みをした時の文章だ。


< ここから引用 >

日興遺誡置文 (白ユリ)
2015-05-06 10:33:05
日興遺誡置文


夫れ以みれば末法弘通の恵日は極悪謗法の闇を照し久遠寿量の妙風は伽耶始成の権門を吹き払う、於戲仏法に値うこと希にして喩を曇華の蕚に仮り類を浮木の穴に比せん、尚以て足らざる者か、爰に我等宿縁深厚なるに依つて幸に此の経に遇い奉ることを得、随つて後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり。
一、富士の立義聊も先師の御弘通に違せざる事。
一、五人の立義一一に先師の御弘通に違する事。
一、御書何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有る可し、若し加様の悪侶出来せば親近す可からざる事。
一、偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得可き事。
一、謗法を呵責せずして遊戲雑談の化儀並に外書歌道を好む可からざる事。
一、檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況んや其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云。
一、器用の弟子に於ては師匠の諸事を許し閣き御抄以下の諸聖教を教学す可き事。
一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事。
一、予が後代の徒衆等権実を弁えざる間は父母師匠の恩を振り捨て出離証道の為に本寺に詣で学文す可き事。
一、義道の落居無くして天台の学文す可からざる事。
一、当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間有らば台家を聞く可き事。
一、論議講説等を好み自余を交ゆ可からざる事。
一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事。
一、身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事。
一、弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事。
一、下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事。
一、時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
一、衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事。
一、衣の墨・黒くすべからざる事。
一、直綴を着す可からざる事。
一、謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事。
一、謗法の供養を請く可からざる事。
一、刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す。
但し出仕の時節は帯す可からざるか、若し其れ大衆等に於ては之を許す可きかの事。
一、若輩為りと雖も高位の檀那自り末座に居る可からざる事。
一、先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の〓犯有りと雖も衆徒に差置く可き事。
一、巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫す可き事。
右の条目大略此くの如し、万年救護の為に二十六箇条を置く後代の学侶敢て疑惑を生ずる事勿れ、此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず、仍つて定むる所の条条件の如し。
元弘三年癸酉正月十三日日 興 判


  お忘れですか?
まさかとは思いますが、個人的感情で創価批判をしているわけではないでしょうね。


< 引用終わり >

御書の原文をそのままコピペして貼り付けて、「どうだ!」と言わんばかりのドヤ顔風のコメントなのだが、自分が御書の内容をよくわかっているから他人もわかっているのが当たり前とでも思っているのかもしれないが、御書をしっかり読み込んで勉強していると言うからには、それを他人にもわかるようによく噛み砕いて自分の言葉で語ってこそ、「よく読み込んで勉強している」と言えるのである。
相手のアンチ創価のブログ主も「日興遺誡置文ですか・・・。一瞬呪いかと思いましたよ。ビックリしました。私のような者に「お忘れですか?」と言われてもお門違いであるばかりか(実際初めて目にしました)、相手を間違えれば大変な自爆行為となってしまうでしょう。」とコメント欄で返信しているように、原文をただコピペして示すだけでは相手には何も伝わらないのである。
相手からすれば、「いったい何を言いたいんだ?」と思うだけだし、白ユリ夫人もただ自己満足で終わっているだけでしかないのだ。
御書の原文をそのままコピペしているだけで自分の言葉で思想を語れないようでは、他人に己の知識を誇る資格もないし、ましてや他人を見下す資格もない。
また、何か問題点を質問されると、「もう一度、御書を全編拝読なさってください。そこに明解に答えがありますよ。」と、これまた自分の言葉で語らず、逃げている。
結局は思想や教義によって創価学会を絶対だと言ってるのではなく、自分の感情だけで決めつけているだけのことなのだ。だから、思想を自分の言葉で語れないのである。







2015/06/22(月) 01:00 論考 PERMALINK COM(0)
あるアンチ創価ブログのコメント欄で、非活の学会員が白ユリ夫人に次の質問をしている。

•何故財務を公表しないのでしょうか?
•池田先生は世界の著名人と対談していますが、折伏しないのは何故なのでしょうか?
•最近沢山の会館を建設していますが、平和の団体ならそのお金を貧しい国へ寄付しようと思わないのでしょうか?
•宗教者は信仰をやめた人に対しても引き続き救済を祈り続けるべきではないでしょうか?
•平和は宗教により解決出来る問題なのでしょうか?
•世界平和を目的としているのに日顕さんを非難して平和になれるのでしょうか?
•御書にはどこにも師弟不二、福運という単語は出てきませんが、、造語ですか?
•御書には『日本は神の国』と記載されており、牧口初代会長も靖国神社参拝をしていた事は有名です。なぜ創価学会は神社参拝を禁じているのですか?


これに対して白ユリ夫人は次のように答えている。

それらの疑問は、私も持っておりました。しかし、先輩が全部答えてくれました。また日を改めてお話させていただきます。

「創価学会の正しさがわからない人間は頭がおかしい」とでもいうような上から目線で他を見下している白ユリ夫人だが、自分が答えられないような創価の疑問点を質問されるとまともに答えないで逃げている。
結局、「創価学会こそ正義であり真理である」という白ユリ夫人には正しさを証明できるような論理的思考さえもなく、ただ感情で「創価が好きだ」と思ってるだけのようだ。
それは当人がそう思ってるだけなら良いが、それを他人に押し付けて信じさせようとしても無理というものだ。




2015/06/19(金) 21:14 論考 PERMALINK COM(0)
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