狂信学会員の研究
ある狂信者に見る創価学会のカルト性
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言動の基になっているのは恨み憎しみ
アンチ創価ブログに殴りこんでは何ら論理も思想もない罵倒を浴びせている白ユリ夫人だが、
あるアンチ創価ブログでアクセス禁止にされたのがよほど恨み骨髄らしく、
それ以後、ずっとそのブログ主と常連のアンチ創価の閲覧者(白ユリ夫人の言い方では「擁護者」あるいは「お仲間」)への悪口雑言を書き続けている。
相手のアンチ創価ブログではもう相手にもしてないのに、いまだに恨み辛みを書き続けているのだから、その執念深さ、執拗さはすさまじいものがある。
当人によれば、いつまでも罵詈雑言を浴びせ続けるのはあくまでも相手を救いたいと思う慈悲なのだそうだが、ここに創価学会のカルト性がよく現われていると言えるだろう。
創価学会はこれまでも、敵対者に対して激しい罵詈雑言を浴びせ罵倒してきたが、それを創価側は「あくまでも相手を悪から目覚めさせるための慈悲の行為である」と言ってきたものだ。
相手を攻撃していながら「慈悲の行為」などととぼけてみせるのは創価学会のいつものスタイルであるが、そのように自己の悪を反省することなく、「自分たちこそ正義」という詭弁で信者を騙すのがカルトの常套手段だと言えよう。
そして、そのカルト創価の体質に感化されている白ユリ夫人の言動の基になっているのは論理や教学などではなく、感情なのである。
己の感情のままに相手を罵倒し罵詈雑言を浴びせ続けるのは、その感情による恨み憎しみ妬みなのであろう。
当人は「相手を救いたいと思う慈悲の行為」などと言葉をすり替えているが、まぎれもなくアンチ創価側に対する憎悪の為せるワザなのである。
当人も自分のブログやアンチ創価ブログのコメント欄で「相手を絶対許さない」とはっきり書いている。
それはもはや「慈悲」なのではなく、憎しみであり恨みであり妬みなのである。
カルトにハマってしまうと、己の心のあり方もわからなくなり、主観的な恨み憎しみの感情を「慈悲の心」などと美化してごまかしてしまうのである。
そこがカルトの怖さだと言えよう。
創価学会ではよく「ただ心こそ大切なれ」という言葉を使っているが、狂信者のその心というのは感情を基にした恨みや憎悪の心でしかないのだ。そこに気が付いているのか気が付いているのにごまかしているのか、これもカルト信者の特質と言うべきで、悪を正義と言い続ける、「ウソも100編言えば本当になる」を実行している姿なのであろう。
2015/06/20(土)
09:00
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